その1)アズレンをやりはじめた。すると母港画面がいつもと違い、惑星の軌道システムのような画になっていた。1つ1つの要素が惑星のようにライブで動いており、見たい内容の星(明石アイコンなど)を押そうとするが、動くので指がすぐずれてしまい反応しない。これはひどい改悪だなと思った。

設定画面を見ると(リアルよりも)かなりいじれるところが多く複雑だった。画面をアクティブ(モーション化)にするかどうかの小さなスライダーがいくつかあり、それらはすべて最小になっていた。それでもあんなに動くのかと困惑していた。

クラシック(かつての静止した)画面に戻す方法を探したが、見当たらなかった。

 

【洞察】

1.アズレンがどんどん複雑化してつまらなくなっていることへの不満のことか。

2.惑星の軌道システムが出てきたのは、今読んでいるハンコックの本(創世の守護神)のピラミッドと星々の関係の話の影響があると思われる。

3.良かれと思い発展のために複雑化していったもの(現代の人類になるほどやりがち)は、実はユーザーやプレイヤーにとってはやりづらさを感じざるを得ず、それは作り手の精神的な退廃であることを示唆しているのかもしれない。

 


 

その2)テレビを見ていた。今時のバラエティ番組を見ていた。企画らしきものはなく出演者主導の感じで、自由にやっていはいるがあまり面白くなくて、テレビも変わったものだなと思った。

別の番組を見た。今度は企画が主導で、やや昔のものに近かった。勝俣が床に寝かされて、何やら痛いのかくすぐったいのか苦悶するプレイをやらされていた。彼は若作りはしているものの、もうけっこうな歳で体じゅうにテーピングのようなものが貼ってあり、だいぶ無理してるなと思った。それはともかく、さっきのよりは多少は面白いとは思った。

野球の番組になった。セネタースとあるチームの対戦があるようで、セネタースの練習風景の紹介があった。白黒時代のはずなのにカラーになっているのが奇妙に感じた。セネタースといえば野口二郎がいるはずで、彼を見てみたいと思った。

 

【洞察】

1.これもその1の洞察2のように、時代が進むにつれて人類の精神的退廃が進んでいることを暗示しているように見える。

2.セネタース野口二郎は生まれる前の話。俺が知らない、野球が(技術的ではなく内容や精神的に)一番面白かった時代を指しているのかもしれない。白黒をカラーにしているのは「古い時代の良かったこと」を復興することの象徴かもしれない。

3.例えば広告デザインに限って言えば昭和30年代、音楽なら1970年代のものが最も優れていると思うが、これもそれも生まれる前か知らない時代の事物であり、懐古主義と混同してはならない気がする。