その1)実家にいた。(どこかで呼び鈴が鳴って?)誰かに玄関ドア(リアルと少し違う)を開けられたが、俺は「今はちょっと...」といってすぐに閉めた。

2階の自室のベッドに座っていると、いつの間にか見知らぬ若い男Aが隣にいた。俺が驚くと、Aは「どうやって入ったと思う?」みたいなことをいって得意げだった。玄関からしか入れないはずだし、どこかに隙間でもあったのかと不思議でならなかった気がする。

Aは隣の部屋(リアルでは母のアトリエの位置)に向かった。その部屋もこの夢では俺の部屋のようで(机の?)上の方にエアコンがついていた。Aは勝手にこの部屋を調べ始めようとしていた。俺にはAを止める術がなく、もうだめだ、Aに殺されるかもしれないと思った。

 

【洞察】Aはエゴ的であり、創造性を殺す人格・側面、あるいはリアルでの要素のことかもしれない。今日やっても(心に隙があって?)エゴ人格が跋扈してしまうので(?)作曲はやめておけということか。

 


 

その2)早朝、見知らぬ家を出ると、そこは田舎の山間っぽい場所だった。朝靄っぽい天気。俺は刃が残り1枚と短くなったオルファっぽい黄色いカッターを持って、坂道を下っていった。カッターと替え刃を買いに行くためだった気がする。

その途中、カッターを落としてしまい、それが右手にある天然の生垣(?)か何かの下の穴に落ちて、谷側のどこかの集落の方へ行ってしまった。下の方から子供たちやおじさんの声がして「カッターを誰かが落とした」とか「ミスした云々...」みたいな話が聞こえた。

しまったと思ったが、もう取りには行けそうにない。仕方ないので家に引き返し、カッターは後日買い換えることにした。

(中略忘れ)

朝、実家の居間にいた。窓の外を見るとちょっと怪しい雲行きだった。そう思っていると、雷が真上かすぐ近所に落ちたようだった。それがもう一度あった。

それから少しして、また大きな雷が真上に落ちた。俺は恐怖と驚きで縮こまり、首の骨がパキッと鳴った。そのとき、どこかに出掛けていた母が帰ってきたようで玄関で声がした。ほどなく大きめの地震がきた。母が玄関先で「ちょっと、うちに雷落ちた? いや地震?」みたいなことをいう声が聞こえた。

再び空を見ると、少し晴れていて秋っぽいうろこ雲が見えていた。

 

【洞察】

1.カッターは工作用具であり、創造に関わることと思われる。

2.刃を使い切ってしまっているのは、作曲を続けてきてかなり消耗していることを示しているのかもしれない。新しいのを買いに行こうとするも落としてしまい機会が後日になったのは、リフレッシュして(したつもりで)また取り組もうとしても、まだ上手くいかないだろうということか。要するに今日も作曲はやめておけということか。

3.後半の雷は、近所や真上だし連発していて地震まであることから、怒りや怖れなどから自信を失う可能性が高いことを示しているのかもしれない。つまり今は作曲は推奨できないということか。雷がひらめきの可能性もあるが、ここでは考えにくい。

4.雷の後の秋っぽい空は、7月21日の夢にもあるように、やはり秋までは低調でペースダウンするこを示唆しているように見える。

5.(2023.7.29追記)今日の登山で無数の雷鳴に追いかけられ、高所の夏山はこれきりでやめることにした。危ないので秋まで控えろということかもしれない。

 


 

その3)旅である田舎のバスターミナルにいた。けっこう人が並んでいる。ここは新潟地方で、これからバスで海側へ行き、そこからJRに乗って新潟市内方面へ行きたいと思っていた。

近くにいた見知らぬ若い女に「どこまで行けばJRの駅に出ますか?」みたいなことを訊いた。女は「中(あたる)まで行けば...」みたいなことをいった。そこでJRの路線とぶつかるらしい。

バスがロータリーをまわってきた。前のドアから客が次々と降りてきた。ここが終点のようだ。スキー客(?)が多い感じだった。まだ全員降りていないうちから、待ちの客がもう乗り込んでいた。俺もそれに続いた。

バスの後側はまだ空いていて席が選べるようだ。広々としていて2席と1席のシートがあるが、古い田舎のバスらしく内装がちょっとボロい。イスの脚がほとんどなくやや窮屈そうに見えたが、乗降口のすぐ後ろの1席シートに座った。後ろの席の若い男(?)の手がのびてきてちょっと邪魔に感じた。また、中国人らしきおばさんが急に中国語で歌をうたいはじめた。どっちもちょっとウザかったが、それもバスを降りるまでの短いガマンだと思った。

で、『中(あたる)』というのはどこなのかと、時刻表の地図で調べることにした。少しぼーっとしていて、ページをよく見ると北海道だったのでめくった。どのページも何かの汁(?)がかかったのか少し濡れていた。新潟地方のページを見ると『中』はここからだいぶ東の方(新潟市寄り)にあり、けっこう距離があるなと思った。運転手のアナウンスから、このバスも『中行き』のようだった気がする。

バスが発車して最初のバス停は、大きなイオン前だった。

 

【洞察】

1.田舎のバス→JRは、メインの路線(作曲?)に出るまでの過渡期を表しているのか。なぜ新潟なのかはわからない。そのつなぎの期間は、あまり上手くいかずちょっと苦労しそうということか。

2.「中(あたる)」というバス停や地名は「当たり」と同じ意味なのか。長いつなぎの期間を経て当たりの作品にたどり着くだろう、ということなのか。

3.(2023.9.20追記)曲が当たったら新潟に移住できるという意味の可能性もある。