その1)父(故)が「この世にまだ未練が少しある」みたいな話を、英語で何行か表示して綴っていた。俺は東南アジアかどこかのある秘境に呼び出されていた。父はそこで赤いハートのマークが全面に入った小さな水晶玉のようなものをくれた。

心臓やハートが強くなるという訳ではなさそうだが、父は「何かの役に立つときがくる(光にかざすと効果が出る?)」みたいなことをいっていた。

 

【洞察】不遇のままでいる俺を心配して、父が何かよこしてくれたということなのか。本心に光をかざすと打開できる(道がわかる)みたいな話か?

 


 

その2)学校かどこかの見知らぬ部屋で、ある理系の大学受験のための勉強を始めようとしていた。そんなにレベルの高い大学ではなさそうだが、一応傾向と対策はやったほうがよさそうだった。

何層もある巨大な分数を約分(?)する問題があった。直感で√370くらいで割り切れると思ったが確信はなかった。難しい問題ではないが手書きの計算が面倒そうだ。俺は近くにいたQや巨人のある選手に「今は受験で計算機を使ってもいいのか? 四則演算とか...」と訊いた。それについては彼らはわからないようで、おそらく使えそうにない感じだった。

 

【寝る前の思考】明日は作曲をやるつもりだが、どうなのか。

【洞察】

1.受験勉強は部活と同様、作曲の練習を示唆しているのかもしれない。

2.計算機の話は、今回はあまり自動演奏に頼らない方がいいみたいなことか?

 


 

その3)(半覚半眠)昭和30年代は様々なことが過渡期で粗くて、可能性に満ち溢れていてよかった。今の音楽は洗練されすぎていてつまらないと思っていた。

世界的に有名らしいマリンバ奏者の男女2人(北欧人?)がいた。俺たちがいる小屋には、まっすぐな細い板を敷き詰めただけの手づくりの台のようなものがあるだけだった。それをマレットで叩いてみると、それなりに揃った音階があった。2人はそれで演奏してみた。

男は「認めたくはないが(本業の完成品のマリンバより)こっちの方が楽しいと思ってしまった」といった。

 

【洞察】作曲に対する志向や指針のようなものと思われる。未完成で過渡期で粗いものをあえて目指しているということなのか。その1とも関係があるかもしれない。