その1)電気を使わず氷だけで冷やす方法で、どこかを助ける方法を試そうとした気がする。




その2)旅の途中、誰かを探していた。そいつは人間ではなく、レモン汁だけでできた体のない何かだとわかった。
場面変わって、曇った(霧がちな?)ある地方のバス停へ向かった。ローカルの小型バスに乗ろうとしたのだが誰もいない。うろうろしていると、いつの間にか4〜5人くらいベンチに座っていた。俺もそこに並ぼうとすると、彼らを先導する青年と共に向こうへ行ってしまった。俺はその青年に迫り、バスに乗りたい旨を伝えた。男はぶっきらぼうに、しばらく待っているようにと言った。
下りられそうな崖下を見渡すと、人々(生徒たち?)が岬の方へ向かっているのが見えた。地図が現れ、沖縄(北東部?)のある小さな湾の先端だとわかった。そんなにマイナーな所へ行ってもしょうがないのにと思ったが、バスに乗るためには、とにかく彼らが戻ってくるのを待つしかなかった。
待っている間、辺りの景色を見ようと思った。するとその方角に巨大な黒っぽい雨雲がたちこめてきた。俺は「やめてくれー! あっちへ行け!」と言ったが、雨が降ってきたので、近くのマンション(幼少の頃住んでいたK団地っぽい)の軒下に入った。
1階のある部屋から、インコの鳴き声と独特の鳥臭がしてきた。インコは何羽かいるようだ。そのうち白っぽい小鳥におどけた顔を見せると、そいつも似たような顔を返してきた。まるで人間のような表情で、この小鳥は人間っぽい(才能がある)なと思った。


<解釈その2>
バス・・・一般に、自分を表現するための大きな潜在能力。
崖・・・一般に、人生の転機。徹底的な変化が求められる。決断しなさいということ。
海岸・・・一般に、意識と無意識の間にある境界線、または橋。巨大なエネルギーを海から引き出す能力を持っていて、無意識の未知の力を集めて人生の目標を実現するために使う。
雨・・・一般に、感情面が成長する準備のための浄化。激しい嵐はおそらく感情の変化。耐えがたくてもいっときの変化。(ケイシー解釈)祝福、利益。下り坂の状況。感動と感情の解放。悲しみ。障害。水分が必要。
インコ・・・子供の頃、自分では世話しないくせに何度も飼っては(不可抗力で)死なせてしまった、特に意味のあるシンボルと思われる。創作やアイデアについて暗示することが多く、元気なときは数日後によく曲が降りてくる。逆に元気がないときは不調のサイン。あるいは自分を世話(ケア)することについて。
白・・・一般に、真実、清らかさ、神の光、保護、導き。(その他ケイシー解釈)無知、衰弱。

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【洞察】
1.作曲のことなら、寄り道的な曲(あるいは南国系〜陸の端へ向かう的な)をはさむ必要があるということなのか。
2.別の曲にかかろうとすると、感情が悪化するのか。(感情の雨が去るのを)待っている間に、何らかのアイデアと出会うのか。




その3)ある海岸か島で、水着姿のグループで遊んでいた。あるとき、海の上で何かを追いかけていったら見知らぬ海岸(島?)に上がってしまった。
そこでは何かとルールが違うようで戸惑った。ビキニの若い女と少し親しくなったものの、やはり余所者なので長居はしたくなかった。俺は女に「(ここに)飽きた飽きた。俺すぐ飽きるから」と言った。女は「飽きたんだ?」と悲しがることなく微笑んだ。俺は餞別としてタオルケット2枚(うち1枚は洗濯バサミが大量に付いている)をもらっていくことにした。
その後、このグループの長らしき男の下へ、ここを出たいと告げにいった。男は訛がひどくて全然聞き取れなかったが、引き留めたそうな感じはあった。
場面変わり、どこかの建物の中。長は何か言っているが、やはり訛っていてわからない。周りには(正装した?)12歳前後の洋系の美少年が何人かいて、子守唄っぽい歌を口にしていた。はじめは長の企んだ洗脳かと思ったが、特に状況が変わることはなかった。


<解釈その3>
島・・・一般に、リラックスするための避難所。創造的な自己表現。人々から遠ざかること。状況から逃げ出したいという願望。孤立。
洗濯(物)・・・一般に、自分のある側面を浄化すること。

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【洞察】
1.暑くて裸で何もできない状態(つまり夏)に飽きたということなのか。
2.タオルケットと洗濯バサミは、寝具のこまめな洗濯(あるいは浄化)を意味するのか。
3.長のひどい訛と美少年の歌が何を意味するのか、まだよくわからない。




【今日のカード】Cat(気品と官能・ガイドの情報)/Patience(忍耐・夢の途中・大天使ジョフィエル)/Labradorite(内面の美)/75 Four of Pentacles(Go with the Flow)(細部に気を配る。小さなことに愛を注ぐ。明晰と浄化。流れの中にいることは瞬間瞬間に役立てられる機会に出会うことである。流れとともに行く)