俺はある若いカップルと一緒にいた。彼らの買い物に付き合っているという感じ。明るそうな女Aはスマホを正方形にしたような薄い小さなデジカメでいろんなものを楽しげに撮っていた。Aは最後に、俺が大あくびしたところを撮った。
Aはこれまでどんなものを撮ってきたか俺に見せた。ファイルは、濃いピンクかマジェンタの花なのかよくわからない、ピントが合わず撮り損ねた動画の集まりから始まっていた。彼女は気になると何でも撮ってしまうタイプのようで、無駄が多かったが何だか楽しそうだなと思った。
それにしても今のデジカメはこんなに小さく薄くなってしまったのかと驚いた(スマホよりはやや厚いが)。スマホを作る技術があるくらいだから当たり前かと思った。
ここは電器店のようで、今はどんなデジカメがあるのか探してみたが、スマホで撮ったものを加工(?)か何かするサービスがあるだけで、デジカメ自体は1つもなかった。グリップのあるプロ仕様のやつくらいは残ってるかと思ったが、ついにデジカメも絶滅したかと思った。


<解釈>
カメラ・・・(ベサーズ解釈)経験の意味を認知すること。学びに利用するための人生の記録。
あくび・・・(ベサーズ解釈)退屈。エネルギー、自発性が欠如している。

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【昨日の思考】自分の作曲スタイルはどんどん作業の手数が減る方向に変化してきているように思える。体力は人並み以上と思うが、どうも気力のプールが人より少ないような気がする。複雑なものや手の込んだ作業ができなくなってきている。
【洞察】
1.これは、自分の音楽性の変化を喩えているように思える。性能の高いカメラでこだわった写真を撮るよりも、簡略かつ小型軽量化されたカメラで気になったらなんでもバシャバシャ撮ってしまうような感じの、作曲スタイルになってきているということか。
2.つまり、質にこだわるより量をとるほうが楽しい(必然的に無駄作品も増えるがそれは大して問題ではない?)と主張しているのか。
3.デジカメが絶滅したということから、今後の作曲はいわゆるスマホのカメラ的(気軽になんでも作ってしまう?)になる、と暗示しているかもしれない。