見知らぬ部屋で、黒い大型コンポのテープデッキで回るカセットテープを見ていた。透明タイプ(初期のAXIAっぽい)でリールが回るのが見え、それをぼーっと見ているのが好きだったことを思い出した。そのコンポは他の人のもので、俺はその人のために作ったテープをチェックしていた。
やがて持ち主の中年男が現れた。いかにもオーディオマニアという感じの男で、彼はヘッドホンでテープの曲を聴き始めた。音質的には現代の機器の方がいいはずなんだが、と思いながら俺はその様子を見ていた。男もそれをわかった上でのレトロオーディオ趣味なんだろうと思った。
俺はかつて手書きインデックスのカセットテープを大量に持っていて『音楽を聴くために聴いていた』その頃が良かったと思った。


<解釈>
【連想法】
大型コンポ・・・本格的に音楽を聴く。
カセットテープ・・・独特の音質とパッケージ。曲が再生されている感じが見える。
現代の機器の方がいいはずだが・・・理屈では便利だとわかっているが、何かが物足りない。大事なことを失っている感じがする。

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【現況】河合隼雄の仏教とユング心理学についての本を読み始めた。
【洞察】
1.その本では、クライアントが「治療を望んではおらず、それ(箱庭療法)をやりに来るために来ている」といったのが印象的で「音楽を聴くために聴いていた」頃の充実感が想起されたと思われる。
2.作曲に関してか象徴なのかはわからないが、レトロオーディオファンの人のためにテープを作っていることから「それをやるためにやるもの」たとえば本や文章の執筆なら、それを読むこと自体に意義がある(それはおそらく実用的とはいえない)ような話(たとえば小説など)を書くことを暗示しているように思える。