その1)本屋にいて、辞書を探している。なかなか見つからないので、メガネの若い女店員にきくと、コーナーまで案内してくれた。しかし女は、お客様の手が汚れているかもしれないという理由で、本には触らせてくれない。自分で本を持って広げ、ページをいくつか開き、こんな感じですと見せてくれた。
縦書きで大きめの文字が並んでいる。一定の書体ばかりで、辞書というより一般の本といった感じだが、なぜか一応納得する。背表紙には「○の○と宮の司」(○は失念)という出版社名があり、値段は五千円。厚さの割には安いけど五千円自体はけっこう高いとか、図版は入っているのかとか、考えているうち目が覚めた。


<解釈その1>
辞書・・・一般に、知識を求めること。心の変化を理解すること。
本・・・一般に、あなたの人生の本。今生でのあなたの目的。人生設計の知識。重要な学びが近づいているので注意せよ。
汚れ・・・一般に、考え方や行動を台無しにする汚点。いらいらするものや態度。
宮の司・・・宮司のことなら、神社の長。「司祭」が教師を表すので、司教にあたる大教師のことか。
5000・・・5は今、あるいはもうすぐ起こる変化(数秘術)。

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【現況】精神疲労を感じたので昨日は休んだ。
【寝る前の質問】なるべくなら録っておきたい番組がある。HDDブルーレイレコーダーを買うべきか?
【洞察】
1.質問に対する答えなら、「現品が近所の店になくネットでしか調べられないもの」「知識を求め、ためておく道具」「スペックの割には安いが、値段自体は高いもの」といった商品の感想を述べているに過ぎず、是非については言及していない。
2.人生の目的について。大教師となって、辞書のような本(文体は小説だが、辞書と同じ効果がある)を書くことが目的である(小説執筆はそのためのステップか)。作曲の面でも同様のことが言える。しかし、良くない考えが邪魔をして、まだしっかり見ることができない。




その2)どこかからマンションの一室に帰ってくると、部屋に水槽があるのに気づいた。何匹か魚が泳いでいる。買った覚えはないのだが、だいぶ前から存在していた感じでもある。エサも与えていないのにどうやって生きのびているのかと不思議に思って、よく見ると、魚は相手の体についた藻のようなものを食べていた。水や水槽が少し汚れているようなので、面倒だが、待避用にもう一つ水槽を買ってきて元を洗わなければと思った。
部屋の奥には、もう一つ横長の大きな水槽があり、青い魚が数匹勢いよく泳いでいた。こちらも飼ったりエサを与えた覚えがなく、不思議な感じ。
さらに床には、黄色いインコが二羽いた。うち一羽は羽毛をぎゅっと締めて緊張し、何度もばたばた飛び上がっては、俺の脚にすがってきた。何事かと思って鳥カゴを見ると、エサがほとんどなかった。底の方に残っていたピスタチオのような豆を割って与えると、二羽の小鳥はばりばり食べはじめた。
動物たちの世話の方法について、大家さん(若い女という設定)と相談しなければと思った。


<解釈その2>
水槽・・・一般に、今すぐ感情を静めましょう。リラックスした、穏やかな方法で感情のあり方を見せている。
魚・・・一般に、瞑想、精神の栄養が必要。あるいは、何かが疑わしい。
エサ・・・一般に、誘惑、チャンス。「食事」の類なら、心身や魂のための栄養。
水・・・一般に、感情のエネルギー。
青・・・一般に、精神性、リラックス、幸せ。
インコ・・・子供の頃何度も飼い、故意ではないもののミスをしては死なせてしまった、自分にとっては特別にメッセージ性のある鳥。過去の検証から、「アイデアやモチーフ(を運ぶもの)」か「創造性の状態」を表す傾向がある。
黄・・・一般に、平安、調和。あるいは恐れ。確信をもつ勇気に欠ける。
2・・・一般に、男女性のバランス。
ペット(動物の世話)・・・一般に、自分で選んだ責任。養い育ててくれるもの。

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【寝る前の質問】その1を見た後、否定しないなら買ってもいいってこと?(解釈1)と確認した。
【洞察】
1.質問の答えなら、感情をきれいにしたり、精神の栄養のため、あるいはアイデアやモチーフのために必要であろう。ただし、録った番組を取捨選択するのは、魚や鳥の世話のようなもので、なかなか大変であるという示唆。
2.待避用の水槽は、元のHDDに対する、DVDやBDのことかもしれない。
【検証】
2011.5.19・・・インコの1羽は活発で騒がしい、1羽は(活発な奴の影響か)ストレスで羽の多くが抜け落ちていた。また黄色い小さな1羽は、目を離した隙に水皿の水の中で死んでいた。緑のボタンインコは、何かいいたそうにブツブツいっている。
→ この後、今日に至るまで作曲ができていない。一方、小説の推敲は進んだ。
2011.2.20・・・インコが2羽飛んできて、床のカーペットの毛玉をつついている。鳥かごは高い所にあってよく見えない。母が世話を忘れていて、きっとエサがもうなくてイラついているんじゃないかという気がしている。
→ この辺りでは、小説と作曲を両立したせいで、精神栄養が不足しているのか、曲のようで曲でないアンビエント的なものを手がけている(変なものでごまかしているとも取れる)。
2011.1.18・・・鳥かごの中の二匹のインコが、互いに口にふくんだエサを口移ししていた。二匹は喜びのあまりとても興奮している。
→ この後、今書いている小説の原案がどんどん出てきた。
2010.10.30・・・数十羽のインコを飼う若い女。そんなにいたら長旅ができないと言っても、好きだからしょうがないと返される。人懐っこいインコ。彼女の気持ちもわからなくもない。
→ 作曲において多産の時期。
2010.5.26・・・眠そうな黄緑インコと、髪の毛にじゃれつく別種の緑インコの夢。
→ 曲をいくつか書いた後で、そのあと曲ができるまで少し間があいている。
2010.5.20・・・二羽のインコが飢えている夢(黄色い方は寒そうにすり寄ってくる)。飼っているのは自分じゃないのにと、不満げに水皿を洗っている。
→ 曲が良すぎて、歌詞を公募しても一つも採用できず、応募者たちともめていた。成果が報われないと悩んでいた時期。


【結論】
今回は、CD化によって成果のほうはある程度報われているため、小説の推敲がまだ終わっておらず、精神的な栄養が足りていない(つまり並行すべきではない・推敲優先である)ことを示唆していると思われる。
どのみち、精神的栄養を補充するには、ある程度の娯楽が必要で、時間に縛られないためにも、HDD+BDはあってもよいだろう。