その1)ある体育館でテニスの試合をはじめようとしていた。相手は欧米人らしき老夫婦だった。俺はサーブを打とうとしたが、球は軟式野球のボール(B号。かつてはBケンと呼んだ)で軟式の中でも特に重く、一方ラケットはプラ製で柄が30cmくらいで打面が卓球球よりやや大きいくらいしかなく、サーブなど到底できるものではなかった。俺は相手に「これサーブするの無理です」といった。
それから、コート端にいた同僚の女(20代くらい)のところへ行き「これスイートスポット狭すぎでしょ?」みたいなことを訴えた。女は試しにそのラケットで(軟式ではなくいつの間にか)卓球球をサーブし、あっさり相手コートに入れた。「私は普段からやってるから(できる)」と女はいった。たまにしかやらない俺には無理な芸当だと思った気がする。


<解釈その1>
体育館・・・(ベサーズ解釈)心身や精神のバランスを通して自分を訓練すること。運動をしてエネルギーレベルを高めること。(ケイシー解釈)人生というゲームで学んでいる心理(学校の〜)。運動。競争。

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【現況】2日粘っても何もでてこないので、モチーフSMをよく吟味した。これは歌ものは無理だと判断(BGMもかなり難しい)して、このモチーフは諦めることにした。
【洞察】
0.昨日の状況を上手いこと表現していると思われる。
1.欧米の老夫婦は、曲調として目指していた欧米(ケルト等)の古い音楽のことであろう。
2.貧相なラケットに対しボールが大きく重すぎてサーブすらできないことから「まだ経験の少ない分野で実力以上のことをやろうとしている」ことを暗示していると思われる。
3.女がいうように「普段から(その手の音楽を)やっていればできる」ことなのだろう。




その2)昼食の後、学校へ戻るため外に出た。歩道のない車道を全裸で歩いていたが、辺りに女子中学生などがいて人目が気になり、小走りになった。
途中、全裸の男の子(小学生くらい)を何人か見かけ、今日はそういう日なのか? と思った。だが俺は大人で毛が生えているので、彼らはそういうことは気にするかもしれないと不安になった。
さらに行くと、俺はいつの間にか短パンをはいていて、これでボクサーと同じくらかと思い、恥ずかしさはだいぶ解消された。
(中略忘れ)
後日だったか、街の店で短パンを探した。昼食時は全裸だが、それを携帯していって帰りにはこうと思い、収納袋がついていて小さくたたむとそれに入るタイプを探した。
高級そうな雑貨屋でセレブっぽい中年夫婦がソファでくつろいでいた。その手前のテーブルを物色したが欲しいものは見つからなかった。
カフェのような店で、たしか前に見たことのあるカタログ冊子があったはずと探した。冊子類はいくつかあったが、カタログかどうかは手にとってみないとわからないようだった。


<解釈その2>
裸・・・(ベサーズ解釈)自分の本当のフィーリング、アイデアをさらけ出すこと。自分からも他人からも包み隠さないこと。(ケイシー解釈)肉欲。隠そうとしていた何かを暴露する。無視または無理解(故の無防備な状態)。非難にさらされたときの感情。世間に対して自分がつけていた仮面を脱ぐ。相手の本当の気持ちを知りたい欲求。謙遜。人生での使命を果たそうとしないこと。(ウォレス解釈)(人前で〜)自分がひどく弱い、危険にさらされている、と感じている。いつもは自信満々だが自分には致命的な弱点があると感じている。本当の自分や才能を表現したいという欲求。(ホロウェイ解釈)(人前で〜)変化への緊張。慣れない立場に戸惑っている。成功の反面、注目されて人目が気になる。(フォンタナ解釈)拒絶されることに対する恐れ。自分の精神的深さや、ありのままの自己。本性。本当の価値。

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【寝る前の質問】次のモチーフは? 歌かイラストか。
【洞察】
1.質問の答えになっているかは不明だが「(多少隠してもいいから?)自分をさらけ出せ」ということなのか「何も書けないという無力感に苛まれている状況」を表しているのか。
2.短パンは「多少の(作曲の)型」を表している可能性がある。作曲においては「型がないのが型」というのが自分の特徴と思っているが、多少はあってもいいということなのか。