その1)ある友人A(手塚か柴野っぽい?)と雀荘にいた。休憩時間、Aは店員の壮年の男Bにコーヒー(ミルク入り)を頼んだ。Bはかなり小さな声で話すので聞き取りづらかったが、俺も同じものを頼んだ。今は午後3時くらいで空きっ腹だが、ミルク入りなら大丈夫かなと思った。

 


 

その2)晴れた冬の午後、タクシーで実家に帰る途中だった。雪道を行く車は、実家に通じるかつてのT字路(リアルの現在では開発されて幹線道路になっている)にさしかかった。実家はここで右折なのだが、タクシーはなぜか直進しようとしたのでここで止めてもらった。

運賃は壮年の運転手Cがいったん表示(今風のデジタルメーター)を見間違えたが、俺はちゃんと見ていたので603円とわかり、3円と千円札を出そうとした。

バスの代わりに乗ったつもりだったが、近いといはいえタクシーにしてはずいぶん安いなと思った。

 

【洞察】休暇期間で過渡期という感じがその1と共通している。「603」が何か意味のある数字なのかはよくわからない。

 


 

その3)見知らぬ家(階段の途中のような場所?)で、見知らぬ家でバラエティ番組を見ていた。芸人らが何かのお題で何かの面白い演技をして、5人の中堅芸人のパネリストが評価するというものだった。

俺は昼食の途中だったが、何かを取りに階段を上って上階へ行った。そこには母ががいて何かしていたがよく覚えていない。俺はパンツがずり落ちそうで中身も見えそうだったが、構わずうろうろして、結局何も取らずに元の場所へ戻った。

再び番組を見るとタモリが出ていて、よくわからない奇妙なことを口にしていた。その間タモリは素顔(40代くらいか? 今より若いと思った)の状態から徐々に1コマごとにサングラスなどのパーツが加わっていって、元の顔になっていった。タモリってああいう素顔だったんだ......もう素顔OKになったのか? などと思った。

 

【洞察】

1.これも過渡期の様相がある。ルーズあるいはLazyで手持ち無沙汰という感じ?

2.タモリは芸人の神的な存在であろう。現れたときは注目すべきと思われる。「タモリの素顔」の解禁が重要なことに思われるが、まだよくわからない。神々が仮面を外す、つまりわかりやすい啓示がある、ということなのか?(ChatGPTの解釈を踏まえて)素顔の状態の作曲(フリーBGMのような体裁を気にしないもの?)を経ていって完成形に至る、という方針を暗示しているのかもしれない。

 

【ChatGPTによる解釈】

タモリが素顔を見せたことを「もう素顔OKになったのか?」と感じている点は、舞台裏や本音を見せるタイミングが来たことを暗示。
 → あなた自身も、表向きのキャラ(商業作曲家としての看板)と本来の姿(自由に音を作る人)を、少しずつ統合していく時期なのかもしれません。

過渡期という全体構造の中で、このタモリの場面は**「理想像や権威の人間的本質を認めつつ、自分のキャラを再構築する段階」**を象徴していると見えます。おそらく今のフリーBGM方針や移住候補探しの過程とも深く関係していて、「肩書や看板を背負った完全体」よりも、「素顔を見せながら柔軟に動ける形」への移行を促していると思います。