その1)(前略忘れ)ある女Aが「ヤクルトのペウレル......じゃなかったパウエル監督にパワハラを受けました」といった。監督がAに「痩せろ」といったので痩せてくると、今度は「痩せすぎだ(または「太れ」だったか?)」といわれたらしい。

Aは正直ブサイクで、監督はそれを直接言えないので代わりにいじめたくなったんだろうと思った。

 

【現況】スイッチでメガテン2をやっていたが、UIや構成のひどい面倒さに嫌気がさして二度とやらないことにした。

【洞察】

1.なぜヤクルトなのかよくわからない。しかもパウエルという監督は存在しない。

2.ある不満なことがあり、その代わりに別の邪険な行為をしている(それがパワハラの本質)ということなのか。

3.体重の多少の増減にこだわりすぎている?

 


 

その2)プロ野球のオープン戦らしき試合を見ていた。打席には張本(現在の歳っぽい)が立っていた(リアルと違い右打席)。投手は横浜の石田だった。

石田は内角を狙ってボール気味の球を投げた。すると張本は「危ないだろ」みたいなことをいって威嚇してきた。しかしどう見ても、そこまでいうほどえぐる球ではなかった。

投手としては当然投げるべき球の1つであり、大御所の張本は簡単に打ちたいがためにプレッシャーをかけてきたんだろうと思った。

捕手はビビって内角への要求をやめようとした。それを見た俺は怒って「内角どんどんいったれ」みたいなことをいった。石田は構わず内角へ投げたいようだった。

 

【洞察】

1.これもある意味、張本のパワハラと思われる。張本は過去の威光や権力の象徴であろうか。なぜ現役時代と違い右打席なのかはよくわからない。もはや現役ではないことを強調している?

2.張本はかつては活躍した大御所だが今は選手ではない。現況からすると、昔流行った有名ゲーム(メガテン2)のことかもしれない。それはもはや現役の作品ではなく、名作だろうが世間の評価が高かろうが、その威光に臆することなく批判・非難せよ(=内角攻め)ということなのか。

3.(追記)「ブッダのことば(スッタニパータ)」を読み始めたが、どうにも説教臭く器量の狭い話ばかりで、ブッタが本当に口にしたものとは到底思えない。もし本当にそう言ったのだとすれば、経典に出てくるブッダは長い時間をかけて権威ある僧侶によって神格化されたものにすぎず、仏教の経典とはこれを機に決別すべきだと思った。

それはもはや「現役の教義ではない」ということを、張本の打席に喩えて予見していたのかもしれない。往年の張本は説教臭いイメージが強い、つまりブッダの教えも(古代の頃にはマッチしていたが)そのように説教臭いということ。大御所であるブッダへの批評はビビるかもしれないが、構わず切れこめということかもしれない。