その1)見知らぬ部屋でくつろいでいた。友人や知人が何人かいる。そこでいろいろ話していた気がするがよく覚えていない。
部屋の右手隅にあるブラウン管テレビで『めぞん一刻』をがはじまった。映像の方式と画面が合わないのか、だいぶ粗い画になっている。それでも俺は見たいと主張した。何か事情があって録画(?)できなかったので今見たい、ということだった気がする。
「別にちゃんと見なくてもいいだろ」だったか何か言われて、俺は「全部のシーン覚えてるんだから」と作品愛を主張した。すると誰かが「じゃあ、5秒ごとにシーンを見せてもどこの話だったか答えられるんだな?」みたいなことをいった。俺は「5秒はさすがにきついでしょ。だって同じ画面(背景の意)を使いまわしていることもあるから」といった。最後の方は下顎が痙攣して上手くしゃべれず、ゆっくりで曖昧な口調になってしまった。そこで目が覚めた。

<解釈その1>
テレビ・・・(ベサーズ解釈)自分自身をいっそうよく見る手段。どのように状況に対処しているか、その方法。自分とのコミュニケーション。(マロン解釈)コミュニケーション、情報、娯楽。背景となっている社会への関心(〜ドラマ)。注目を引きたい、知名度を上げたい(〜に出演)。
【連想法】
ブラウン管テレビ・・・最初の記憶から2009年の引っ越しまで。昔のテレビ。アナログ。
めぞん一刻・・・当時アニメ版は録画して2回見ていた。生涯で最もハマったマンガ・アニメ。暗黒の高校時代の救いだった。
映像方式と画面が合わない・・・新しい映像方式と古い画面、つまり時代のズレ。
全部のシーン覚えてる・・・実際にはそうでもないが、何度も見ているので再び見ればほぼ思い出すだろう。

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【寝る前の思考】自分はいったい何が好きなのか、常にそのことを考えやっていたいことなど果たしてあるのか、子供の頃からずっと記憶をたどっているがどうしてもわからない。「アニメとマンガ」「音楽と作曲」「旅と鉄道」「自然と森、山」「性的指向や妄想」「小説執筆」「TV(PC)ゲーム」くらいのものだが、持続的に仕事になりそうなものは思い当たらない。
【洞察】
1.「めぞん一刻」は最もハマったアニメであり、最も好きなことの象徴と思われるが、その作品自体なのか、アニメ・マンガ全体のことなのか、恋愛ストーリーというカテゴリーなのか、判断がつかない。
2.それがどう仕事につながるのかと考えてもよくわからない。「めぞん」は純粋に好きなだけの作品で、五代には深く共感共鳴したものの、同じような恋愛に憧れたわけでも、それでどうこうしようと思ったこともない。それでも何かあるとすれば、アニメ脚本とかマンガ原作者とかラノベ作家の道ということになるのか。
3.今の映像方式と古い画面が合わないのは、時代のズレを表していると思われる。今「めぞん」と同じように作品を書いても時代遅れなのは明らかであるが、それでも見たいというのは、大いに参考になるからということか。
【検証】
2018.4.7に、仕方なく就職することになった。家のような小さな会社の鍵2本持っていたが、裸なので早く開けて入ろうとしたら、経営者らしきみずぼらしい姿の老夫婦がやってきた。そのとき宅配がきて別の鍵を2本渡された。特に夫人の方が「何にハマってるの?」と何度か訊いてきた。これは面接だと思った夢。




その2)ある原作者と桂正和(絵担当)だったかが組んで、新作のマンガを描くようだった。それは恋愛もの(+ミステリー?)のようだ。彼らは今までにない新しいことをやろうとしていた。
連載開始直後から、新聞の下半分を使った大きな広告を打ち出し、法隆寺かどこかの寺の(新しい?)デザインを公募していた。他にもいろんな要素を公募していた気がする。
広告の左側には、マンガの内容を象徴的に表現したものが書いてあった。「彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる」という言葉が4〜5列くらいループしていた。


「彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる彼氏が死んだ生きてる彼女が死んだ生きてる」


<解釈その2>
【連想法】
桂正和・・・美少女+恋愛+SFマンガの人。電影少女とDNA2はかなり好き。
新しいこと・・・2人でマンガ描くのではなく、多くの人からアイデアや絵を公募していく方式。
法隆寺・・・最も古い木造の寺。仏教。
言葉のループ・・・ミステリー要素。

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【寝る前の思考】その1で「めぞん」が大好きなことは思い出したり理解したりしたが、それがどう仕事につながるのかわからない。
【洞察】
1.思考の答えなら、桂正和は美少女などの絵が上手い人の象徴で、そういう人と組んで自分はマンガ原作をやることになる、という予見かもしれない。
2.「恋愛もの」というのがその1の「めぞん」との共通点か。経験の少ない自分に果たして書けるのか疑問ではあるが。
3.作品の絵やアイデアを最初から公募するというのは斬新に思えるが、実際そうするということなのか、広く世の中の作品に触れてそれらを吸収することの象徴かは、まだなんともいえない。
4.なぜ法隆寺が出てくるのかよくわからない。仏教的な教えの要素もストーリーに入ってくる?
5.彼氏彼女の生き死にの羅列は、ミステリー要素、仏教の考え(死生観)、出会いと別れ、のいずれかあるいは全てを象徴しているようにも見えるが、そんなストーリーを描くとでもいうのだろうか。ある意味、かつて崇拝していたともいえる高橋留美子は、それらすべてが揃ったマンガをよく描く傾向があるように思える。




その3)連載を始めたあるマンガの売り上げ部数が、十数万部くらいいったようだった。
宣伝や告知のためなのか、ラジオ番組をやっていた。マンガに関係する新曲(歌?)が発売されるようで、原作者か誰かが「お聴きください。『肩の猫』」といった。


<解釈その3>
ラジオ・・・(ベサーズ解釈)導きからの情報。高次の自己からのメッセージ。あるいは「テレビ」の解釈に準じ、自分とのコミュニケーション。(ケイシー解釈)よりよく理解するために同調したり波長を合わせたりする能力。神が私たちの要求を「遠方で聞く」ことができるようにする方法。神と向き合い現世にあらわれたパワーを受け取る能力。遠くに広がっていく力。娯楽。聴覚。人との意思疎通。一般知識。テレパシー。
【連想法】
売り上げ十数万部・・・マンガ以外なら大成功、マンガでも成功の部類。
ラジオ・・・告知。トーク。音楽。
肩の猫・・・ボブというイギリスの有名な猫のノンフィクションを思い出した。生涯の相棒。
【洞察】
1.マンガに(原作者として?)関わると、それなりに売れるということなのか。
2.「肩の猫」は最初何のことかわからなかったが、ボブを思い出した。彼は著者の生涯の相棒(おそらく恋人以上)であり、この仕事がライフワークになることを暗示しているかもしれない。




その4)(マンガ原作者が乗っている?)バスに乗ってある山の車道を下っていた。途中のバス停で1人客(若そうな男?)を見かけたが、運転手などが話に夢中でスルーしてしまい、大丈夫なのかと気になった。客は怒ったり追いかけたりはしてこないように見えた。