その1)夜だったか(?)見知らぬ自室を少し整理していた。特に植物や花が描かれた絵のポスター2枚(1枚はクローゼットの中に貼ってあり剥がすとそこは鏡だった気がする)を大事そうにはがし、貼るのにもっといい場所がないか(額があればもっといいとも思った)探していた。
また、机の正面に貼ってある古いポスター(F1やTMNなど90年代くらいのやつ?)は、次の引っ越しのときには剥がして捨てようと思った。


<解釈その1>
広告(チラシ・ポスター)・・・(ベサーズ解釈)注意せよ。高次の自己、導きがあなたにメッセージを送っている。
鏡・・・(ベサーズ解釈)自分が自分と対面すること。自分の中の計画や態度を通して、世の中を見ること。他人に対して批判的なので、代わりに自分をそのように見てみる必要がある。(ケイシー解釈)人からどう見られているか。反省。内省、自分の個性に対する自意識。自己愛。幻影。(フォンタナ解釈)

        • -

【洞察】しまってあった「植物や花」のポスターを新たな主役とし「90年代の(機械や電子が主役っぽい?)ポスター」を捨てる、というのは価値観の変化が起きていることを表している(あるいはその予見)のか。機械や文明主義から自然主義への変化(というか復興?)なのか、あるいは作曲に喩えると電子音楽からアコースティックへの変化なのか。




その2)エレクトーンで『シンラディ(またはジラルディ?)』という中東風(?)の変わった曲を演奏しようとしていた。そのオルガンは中国か台湾辺りの東アジア産で、日本のとは違いがけっこうあったが、エレクトーンの基本構成は同じだった。
そこはステージだったかショールームだったか忘れたが、客は無人ではなかった(主に知り合い?)し、知らない曲で弾けるかどうかわからないし、慣れないオルガンということもあり、俺はなかなか弾こうとせずそわそわしていた。
スコアを見ると、32分の何拍子という変拍子(?)の曲で、作曲は『あずまや』と自分のHNが書いてあった。


<解釈その2>
【洞察】中東風かつ32分変拍子というプログレチックな曲を、これから書くことを予見しているのか、それとも自分名義のスコアがすでにあることから、もう頭の中(無意識下)ではできている、しかしアウトプットの面で慣れないことが多く書き出すには難儀したり時間がかかる、ということなのか。




その3)『クロス○○(○は失念)』という、バドミントンに似たスポーツをやろうとしていた。




その4)野球のアメリカ対日本の試合を見ていた。球場はアメリカで、スタジアムではなくどこにでもある郊外の専用グラウンドだった。
日本が攻撃中で、バッターはキャッチャーフライを打った。3塁ランナーはホームベース直前で立ち止まって様子を見ていた。キャッチャーはボールを落とさなかったので、ランナーは3塁に帰った。
わざと落としてダブルプレーにすることもできたようだが、それをやらないのがマナーらしく、アメリカのキャッチャーもそれを守ったようだった。


<解釈その4>
野球・・・(個人的観念)野球やサッカー(の試合は)創作をプロスポーツに照らし合わせていると思われる。進行度、作品の状態(出来の良さ、取捨選択のせめぎ合い、バランスなど)、大会の大きさは曲のレベルを表していると思われる。あるいはフィジカルの状態。
スポーツ・・・(ベサーズ解釈)人生というゲームの進め方、勝敗の決め方、得意なものを活かさず、人間関係から学ぼうとせずに、愛を失って戯れること。特別なスポーツは、練習、自己鍛錬の必要を反映しているかもしれない。(ウォレス解釈)どのようにすれば(疑いや恐れを減らし)自分のパフォーマンスを最大限にし、目標に到達できるかを考えている(〜で勝つ)。どのようにして他人と一緒に共通の目標を達成できるのか考えている。自分の性格の中の対立する側面や要求を調整しなければならない。成果が他人に認められるには、守るべき規則や規定がある(チーム〜)。

        • -

【洞察】
0.今はまだ作曲には取りかかってないので、性格的な話か。
1.自己の対立する側面の中でも戦いのマナーがある(それを守った?)ということなのか。
2.チャンスが生かされないときでもそれ以上傷口を広げないようになった、みたいな話?